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藤堂高虎について語る
87:谷岡 山内公よありがとう◆0VYOn2QZfV4Z 10/24(土) 00:26
藤堂高虎の代に蓄財した資金を高次が幕府の普請費用に使用しまくり、
財政が逼迫してきたと知ると少し藩政改革などに取り組むも
その利益でさらに普請費用を負担し続け、二代にして早くも財政危機に陥る。
三代高久は何を思ったか白土山の陶土採掘を禁止し、陶工の殆どが信楽に逃亡し、
伊賀焼衰退の原因を作る。さらに柳沢に媚びへつらって「柳沢家の玄関番」と称される。
そのお陰で吉保の次男、柳沢長暢に津藩の家督を継がせるよう迫られ、
家臣が切腹して抗議するという有様であった。
「土芥寇讎記」に民から慕われる旨の話があるが、これは先代の暗君と比べてというのが実情。
四代高睦の代には江戸と東海の大地震で藩邸が潰れるほどの被害を被るが、
特に対策を打てないどころか身分階級の改革に迷走する。
五代高敏の代に及ぶと凶作が多発し正月の餅つきすらできない状況になっていた。
しかし対策を打ち出さぬまま七代高朗は、豪奢にふるまい、
幕府の機嫌取りをのために日光東照宮の修繕を引き受け24万両もの借金を作る。
八代高悠はこの期に及んでも藩政改革はおろか、佐賀藩と共に仙洞御所の普請役を引き受け、
藩政は究極に悪化し、ついには財政破綻状態となる。

そして藤堂家一の暴君である九代高嶷は均田制と称して
大農主から土地を巻き上げようとしたが反感を買い
安濃津地割騒動と呼ばれる3万人が決起した大一揆を起こす。
その上、寺社修復のための領民の積立金「祠堂金」を横領して借金の返済に充てようとしたり、
借金を強制的に棒引きにする施策を行ったため「神仏の敵」と蔑まれる。
ただその後の十代高兌が藤堂家唯一の名君であり、質素倹約に努め、
この頃になってやって藩校等学問施設を充実させ、藩政改革である程度の成果をあげることになる。
しかし、十一代高猷が幕府軍に与しながら鳥羽伏見で新政府側に寝返ったため、
「裏切り者の犬」「犬藩主」として両方の陣営から蔑まれるようになり、
評判はがた落ちしてしまった。
1-AA
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