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664:虚無ソキー 02/16(月) 20:36 0 [sage]
わたしは遅筆なので、またしてもサルトルの『存在と無』の話になってしまうのだにゃ。
とにかく、たまたまハムレットのセリフをとりあげただけなのであるが、<ネ>がバカブンケーであるわたしには、
かってに思想のほうが湧き上がってきて、非常に苦痛である。だがしかし、『存在と無』で、
<問いの可能性>が原理的に云々されており、わたしはその部分は、サルトルが<情報>という概念に行き着かなかったことによって、
非常に煩雑になっていると思うのである。それはともかく、あまり話題が拡散しないように…
やっぱり引用しておくのがいいかなと思う(´・ω・`)。
「…あらゆる問いは、本質上、否定的な答えの可能性を立てている、ということをわれわれは見た。…
いいかえれば、それがひとつ『無』として自らを開示する可能性はつねに開かれたままになっている。けれどもひとつの存在者が
<無いもの>として自らを開示する可能性がつねにあることをわれわれが予期しているという事実からして、
あらゆる問いの前提には、われわれが所与に対して一つの無化的後退をおこない、その結果、この所与は存在と『無』とのあいだを動揺する
一つの呈示となる、ということがふくまれている。それゆえ、かんじんなことは、問いを立てる者が、
存在を構成し存在をしか生み出しえない因果系列から、はずれる可能性をいつももっているということである」
サルトル全集『存在と無』106p(尋問書院)
で、じつのところ、ここで「無」といわれていることは、ある<問い>に対して、「そんなものはない」と、
ネガティブな判断に行きつく可能性のことで、そういう可能性が無ければ、そもそも<問い>などは発生しないのである。
ここでいう「問い」というのは、事実上われわれが発する「質問」にとどまらず、
われわれが日常生活の中でとっている態度が、つねにあるしゅの問題解決のタスク処理、というような形式をとっており、
それゆえに、たとえば、もっとも初歩的な問題として、あるタスクが成功したかどうか、というような<問い>には、
われわれはつねにさらされている、ということができる。と、サルトルはいいたいのである。
そしてこれが、つねに<無>に付きまとわれているような人間の意識、というイメージを作り上げる。
To be or not to be, that is the...
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