不労所得(゜∀゜)キターー!!
2009年最後のエロランキング

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663:虚無ソキー 02/14(土) 15:30 0 [sage]
暑ーーー。

存在動詞はヨーロッパ的知ではたいへん重要なもので、文法というより思考の分析に近かった
一般文法(PR文法)でも中心的な役割を担った。現在でも論理学的真を定義するものであり、
また神学的にも神の業績を象徴するものである。そのようないみで、
「真空の存在」は、神のみ業の不完全性を意味するものとして忌み嫌われたのであった。

現代哲学者でさえ、「存在は存在し無は存在しない」とか、じつにどうでもいい循環から
抜け出せなかったりする。それはいいとして、このような話を再びしたのは、
最近『ハムレット』の、to be or not to be, that is the question について書いたから。
この前半、引用部分というかCP部分というのは、論理学的にいえば真か偽か、に相当し、
ひょっとしたら、このブンは、<問い>というものの、一般的定義としても解釈できるのではないかと
考えたからである。もちろんこの解釈をフォローする翻訳は全然ない。
もしこれが問いの一般的属性をのべているものだとしたら、もっと簡単に言えば、
「イエスかノーか、それが質問というものである」、という解釈になる。あるいはもっと文学的にすれば
「然りや、否や、それが問ひである」みたいな。

ある問いを究極的に考え抜いていけば、いっしゅの究極的なイエスか、究極的なノーか、
に行き着かざるを得ない、そういう心理的場面を想定したのかも知れない。
そしてそのような「一般的な」含みを持たせつつ、具体的な自分自身の問いについて独白する、
わたしだったら、そのように解釈するにゃーと思ったりする。

それにしても暑ーーー。これからこのすれでは、「絶対に歌になりそうにない」レスに、
あえて作曲してしまうという不毛の試みをしたいと思うにゃ。ま、前からやりたかったんだけど。ほんにゃまた。


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大人の分別ある関係を構築